オズの魔法使

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TOHOシネマズ六本木ヒルズで映画『オズの魔法使』を鑑賞

  • 第二回 新・午後十時の映画祭という特集上映。
  • 初めて見た。まーサイケデリックな世界観。ディズニーランドのアトラクションみたいだ。子供向けとしてはちょっと危ない、ドラッグムービーなな。
  • ドラッグと言えば見終わった後、主演のジュディ・ガーランドのことが気になってwikiってみたんですよ。そしたら彼女すげえ経歴なのな、ゲイ・アイコンみたいな人だってことは知ってたけど、壮絶な人生だったようで。

1929年、2人の姉と共にガム・シスターズの一人としてデビュー。1935年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と専属契約。契約時、ディアナ・ダービンかジュディかどちらか一方と契約を結ぶことになっていた。社長のルイス・メイヤーはディアナと契約しろという意味で「デブの方(ジュディ)を追い出せ」とプロデューサーのアーサー・フリードに命じた。ところが、キャスティング・カウチ(セックスをした相手に役や契約を回すこと)で悪名高かったフリードは、当時13歳のジュディと性的関係をもっていたため、間違ったふりをして、ディアナではなくジュディと契約を結んだ。

契約後、MGMはかなり肥満気味の13歳のジュディに極度のダイエットを命じた。13歳にしてダイエット用の薬として覚醒剤アンフェタミン)を常用するようになる。『オズの魔法使』を含む、すべてのMGMミュージカルでジュディは元気一杯で歌い踊っているように見えるが、ビリー・ホリデイがアヘンやコカインで、ジャニス・ジョプリンがヘロインで陶酔して歌っているのと同様に、実は覚醒剤の使用により「ハイ」の状態で歌っていた。

ジュディは性体験が豊富であり、MGM時代プロデューサー全員と性的関係を結んでいたことは有名である。またあらゆるタイプの性体験を楽しんでいた[6]。彼女の伝記作家のデイヴィッド・シップマンによれば、ジュディは最初の夫で作曲家のデヴィッド・ローズに「ある種のセックスをするよう求め」たところ、夫が「そんな変態的なことをするなんて…」とショックをうけ、それが離婚の原因になったとのことである[7]。また、同性愛に対しても全くこだわりがなかった。ジュディは同性愛者に対して理解を示していた数少ない有名人の一人であり、彼らのアイドル的な存在でもあった。ジュディ自身もバイセクシュアルだった。彼女のレズビアンの相手の中には、児童書『エロイーズ』シリーズ(井上荒野の和訳あり)の著者ケイ・トンプソンが含まれる[8]。ちなみに、ジュディの父親と二度目の夫ヴィンセント・ミネリ両性愛者だった[9]。そのために、彼女の死のニュースは同性愛者のコミュニティに大きな悲痛をもたらした。史上初のゲイの暴動であるストーンウォールの反乱の原因の一つは、彼女の死によるショックが影響していたとも言われている。同性愛者の隠語で「ドロシー(=ジュディ)のお友達」とは同性愛者を指し、同性愛解放運動の場では必ずと言っていいほど「虹の彼方に」の曲がかかる。また、「虹の彼方に」にちなみ「レインボー・フラッグ」(虹の6色)は同運動の象徴とされている。